名言・名文【心に響いた言葉】
或ることをなしたため不正である場合のみならず、
或ることをなさないために不正である場合も少なくない
マルクス・アウレーリウス
最近の新聞でこの言葉を見つけました。
秋庭道博さんの記事より引用させていただきました。
或ることをなしたため不正である場合のみならず、
或ることをなさないために不正である場合も少なくない
マルクス・アウレーリウス
自分自身では、私生活においても、携わっている職業の上でも、また一市民としても、何ら不正を行ったことがない人でも、この世で行われている不正を知って、知らぬ顔をしていたとしたら、それは不正の‶共犯者”ということになるのではないか。
もっとも、不正といっても、程度の問題があって、厳密に分類すれば不正にあたることでも、われわれの日常生活の中での行き違いとか、思い違いのこともあるから、その一つ一つを‶告発”しないからといって、その人を責めるわけにはいかないだろう。
しかし、誰が見ても誰が判断しても犯罪であるとかルール違反だということについては、見て見ぬ振りは許されないだろう。
人は人、自分は自分と、自分に直接の関わりが無いことには無関心とか知らん顔というようにして、その場はすますことができても、社会全体がそのような風潮に覆われて無秩序になってしまうと、自分自身も生き難(にく)くなってしまうのではないか。
マルクス・アウレーリウス(121-180)は古代ローマの皇帝。
(秋庭道博=コラムニスト)
秋庭さんの意図するところとは違うかとは思いますが、
スポーツの八百長問題に思いが及びました。
有名なところでは、サッカー、フィギュアスケートがありますが、
あれはおかしい、どうみてもその判定は違うんじゃないのか、
と言っても決して覆ることはありません。
そのため、どうせ言っても変わらないのだから、
言ってもどうなるものでもないから、所詮そんなもの、
みんな知っている、わかっているから言わない、
問題にしない、問題にしてもどうしようもない、
どうにもならない、ワーワー騒ぐだけ馬鹿だ、
黙っているほうが敵をつくらない、だから知っても黙っていよう。
その循環でワルは尚更、ワル循環をつくっていきます。
スポーツのみならず、
私たちが生活するうえでも社会や政治経済あらゆる場面で、
至る所で、無秩序になって、
自分自身が生き難くなってしまわないようにしたいし、
心掛けて生きて生きたいものです。